アーカイブ

水銀鉱山は軍の管理下に

水銀は爆弾の起爆剤である雷管に用いる雷禾(らいこう)の原料として重宝されていた。また、船の喫水線に使う塗料の材料としての用途もあった。そのため野村鉱業の所有する水銀鉱山は軍の管理下に置かれた。そして最盛期には年間二〇〇トンの水銀を産出、従業員二〇〇〇人を擁し、家族を含めると四千数百人という村落を形成していた。第二次世界大戦が終結すると、イトムカの水銀は塩化ビニールの触媒、塗料、農薬、無機薬品、ソーダ・塩素の電解用に用いられた。だが、水俣病の発生にともない、さまざまな製品から水銀が消えて需要はしだいに減少していった。さらに、より安価な輸入物にも押され、一九七三年に鉱山を閉鎖して水銀鉱山の歴史に幕を下ろしたのである。そのときの従業員は、トンネル工事の専門家としておもに大手ゼネコンに引き抜かれていったという。彼らは会社から退職金、再就職先から支度金をもらい、新品の背広を着て意気揚々と山を下りていったと、当時を知る人は証言する。ちょうどそのころ、苛性ソーダの製造法が水銀を使わないイオン交換膜法に転換することになった。水俣病の影響がここにも現れたのである。