私の専門分野(精神医学、そのなかでも自殺刊坊)はかなり限られたもので、目本の中にもそれほど多くの専門家がいるわけではありません。ほとんどの場合、海外の学会に出席するときは、ひとりで日本を発ち、会議もひとりで参加し、またひとりで帰ってきます。いったん日本を離れると、日本語を読みも書きもしない、聞きも話しもしないようにしていた時期があります。自宅を出て成田に向かう時点から読むものはすべて英語のペーパーバックや関連の論文、日記を書くのも英語にするといった具合です。そして外国に行っても、私の出席する学会には日本からの参加者はほとんどいないので、日本語を話す機会もありません。学会を抜け出して観光などしないで、朝から晩まで学会場につめて討議に参加します。休憩時間にも日ごろ、疑問に思っていることを他の専門家に尋ねてまわります。レストランではウエイターに地元の情報や今その土地で流行している歌などについて質問します。多くの人は地元に誇りを持っているので、一生懸命答えてくれます。このようにせっかく外国に出かけたときも、単なる観光旅行や、旅の仲問と日本を引きずって歩くのではなく、集中的に英語に浸りきるという環境をつくることは、工夫次第で、いくらでも可能です(あえて断るまでもありませんが、気のおけない仲間と名所旧跡を見て回り、日ごろのストレスを解消するための旅を否定するつもりはありません。あくまでも英語を勉強するために私はいろいろな工夫をしてきたということなのです)。私は精神科医ですが、日本で生活している外国人の患者さんの診察にあたるということはときどきはありますが、そう多くはありません。専門分野に関する論文を読んだり、書いたりはしますが、日本にいる間は日常生活で英語を実際に使う場面はほとんどないといってもよいのです。その分なおさら、英語を使う機会が凹ってきたときは、(それが日本でも外国でも)徹底的にその環境に浸りきろうとします。たまたま外国からのお客さんがあれば、自分の研究の説明をしたり、その人の講演の司会や通訳をするばかりでなく、時間が許すかぎり、一緒に食事に出かけたり、名所の案内までかってでます。というのも、公式の場以外で、けっこうおもしろい話題が出てくるからです。インターネットで世界のどこにいても、瞬時に情報が得られる時代になっているからこそ、かえってパーソナル・タッチが重要になっているといってもよいでしょう。ぜひ、皆さんも集中的・徹底的にやるという心構えを持って、英語の修得にあたってください。